【7時間目の授業は心理です】

思春期~青年期の方をターゲットに心理学をお話ししていきます。

【#41発達について】成人という一つの区切り

心の中で・・・「起立、礼、着席」

 

みなさん、お疲れ様です!心理カウンセラーのルンタです。

それでは今日も短時間で解説をはじめますよ~

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さて今日は成人の日ですね!

成人された皆さん、本当におめでとうございます!

ということで、発達における「成人」について少しお話をしていきたいと思います。

以前も少し似たような記事を書いたので、よろしければそちらも併せて見てください。

luntacop.hatenablog.com

 

 

そもそも、成人とは何かということですが、法律的な定義で言うと・・・

単独で法律行為を行えるようになる年齢」のことであり、社会的に言えば、身体・精神的な成熟が十分とみなされる年齢であり、保護者からの養育の義務から外れる時期でもあります。

 

しかし、心の面や発達の面で成人とは何かを考えても、答えはありません。

と言いますか、発達心理学の中に成人という概念は存在しません。あるのは青年期というステージだけ。

つまり、成人という言葉は、社会が一つの目安として人間をはかり、区分けするための一つの区切りであるにすぎないのです。

 

今はその成人の年齢は18歳になりましたね。私の時は20歳でしたが・・・。

成人の皆さんは、18歳・20歳になった瞬間に「あ~、自分も大人になったな」と急にスイッチが入りましたか?その日を境に完全な大人になりましたか?

そんなことないですよね。私もそうでした(笑)

 

ということで、発達的には成人というものは存在せず、まだまだ思春期を終えて青年期に入りたてで、何もわからない一人の人間という感じがほとんどでしょう。

大人になるなんて言うのは、そんなものです。

 

 

ですが、明治時代に(民法によって)制定された20歳成人も、その前の江戸時代では全然年齢が違うのです。

男性は15歳頃、女性は13歳頃が現在の成人として扱われ、男性は前髪を切り落とし、女性は赤飯を炊いてお祝いしたとの記録があります。

時代劇ドラマなんかでよく見る元服はこんな感じですね。

 

そうなんです。昔は現代の思春期ど真ん中、現在の中学生くらいで「成人」と言われていたんですね。時代の変化は恐ろしいです・・・。

私が江戸時代に生まれていたら、到底成人らしく振る舞うことはできないでしょう(笑)。

 

 

ですが、成人は大人になるための「通過儀礼」として位置づけ、精神的な区切りとして設けることが、大きな背景としてあるのではないかと思います。

通過儀礼とはイニシエーションを和訳したもので、「成長・発達過程における、次の段階の期間に新たな意味を付与する儀礼のこと」を指します。

これは日本に限った話ではありません。世界中の国や民族で、様々な形で通過儀礼としての成人の儀があります。

日本はたまたま振袖や袴を着て、市民会館に集まって、バイクと車を乗り回すだけですが・・・(地元での偏見)。

 

『世界の果てまで◯ッテキュー』で見たアフリカの民族は、12歳くらいになると、村のなかにある一番高い櫓(やぐら)からバンジージャンプをして、無事その度胸が認められた時に、成人として迎えられるという独自の決まりがありました。

これもまた面白いですよね!成人を年齢で決めるのではなく、何か明確な基準をクリアして、自覚を持てた時に初めて成人となる。とても分かりやすく納得できるものです。

 

少し話は脱線しましたが、要するに、成人を迎えたからと言って大人になったわけではないということ。それが当たり前であることをお伝えしたかったのです。

自分が大人だと自覚して初めて、発達段階的にも精神的にも成人するのだと思います。

ただ年齢が18歳を過ぎたから成人になるわけではありません。社会や世間のルールを知り、責任の重さを理解し、それにのっとった行動を取ることができる

これが大人です。

その大人になるためのスタートを切ることがこの成人の日だと思っています。

皆さんも是非素敵な大人になって下さいね!

皆さんなら必ずなれます。人のために考えられる人が、立派な大人ですから。

 

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それでは今回はここまで!

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