心の中で・・・「起立、礼、着席」
みなさん、お疲れ様です!心理カウンセラーのルンタです。
それでは今日も短時間で解説をはじめますよ~
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さて、今回は「マジョリティ・マイノリティ」についてお話していきたいと思います。
皆さんもどこかで一度は聞いたことがあるでしょう。
そもそも「マジョリティ」・「マイノリティ」とは何でしょうか?
①:マジョリティ(majority)
日本語に訳すといわゆる「多数派」になります。英単語を見てもらえば一目瞭然ですが、、
「大多数」という意味を持つ「major」が語源です。日本語でも、「この服のブランドはメジャーだよ」とかいう風に使われますよね。
②:マイノリティ(minority)
こちらは日本語に訳すと「少数派」になります。「minor」が語源です。
日本語でも、「その曲はマイナーだね」などと言ったりしますね。
以上のようにマジョリティとマイノリティは一応定義づけられています。
簡単に言うと、その人が属すグループが多数派なのか少数派なのかということです。
では最近、何故この言葉が取り上げられるようになってのでしょうか?
それは(私個人の考えですが)、スマホ・PCの普及によって、様々な人がメディアを駆使することができるようになり、発信活動が一気に増えたからだと思っています。
情報革命前の20世紀まで、つまりほんの最近まで、なかなか自分のことをオープンに発信することが出来ませんでした。それが当たり前でした。
だって、そのような機械も機会もないのですから(笑)
出来る人が限られていたのです。
しかし、SNSなどのメディア媒体が発達・普及し、一般の人が手にすると状況が変わりました。みんながみんな、気持ちを呟くようになったり、旅行先の写真をアップするようになったり、対面せずともコミュニケーションを取れるようになりました。
それこそ、機械があれば誰でも機会を享受できるようになったのです。
この話、マジョリティとマイノリティが隠されています。
そうです。20世紀くらいまでは、情報発信が難しいことがマジョリティでした。ですが、情報革命により21世紀。誰でもメディアに触れることが出来るようになったので、一気に情報発信可能者がマジョリティになったのです。
このように、文明の発達や社会の構造が変化することによって、コインの裏表のようにマイノリティとマジョリティは変化するのです。
話を戻しますが、今までマイノリティだった人達が、情報革命を受けて、メディアを駆使するようになりました。そうなると、一気に色々なことが情報としてアップされるようになりました。
これをそのままひとくくりにすれば、先ほど言った情報革命による、情報発信のマジョリティ化と言えますが・・・
人間そんなに単純ではありません。人間を細部に見ていけば、様々なマイノリティがあります。
私は不安障害です。WHOにおける統計だと、日本では不安障害を抱えている人は約1000万人いるそうです。
ということは、だいたい全人口の9%くらいですね。
これをマジョリティとみなすのか、マイノリティとみなすのか。この認知の差が問題になっている気がします。
つまり、多いと捉えるのか・少ないと捉えるのかです。
私はこの数を見て、「え!不安障害の人ってこんなにいるんだ!」と思いました。マジョリティと思ったのです。
ですが、不安障害に縁のない人は、「人口の9%でしょ?全然少ないじゃん(マイナーじゃん)」と思うかもしれません。
当事者か第三者かという立場の違いだけでも、感じ方が違うのです。
この気持ちや状況をSNSなどにアップしたとします。共感してくれる人が多ければマジョリティで、共感を得られないとマイノリティになってしまっているように感じます。
本当にそうでしょうか?
ここまで話しておいてなんですが、マジョリティとマイノリティに絶対的な定義は存在しません。
「10%を切ったらマイノリティになります。」など、一概に言えないのです。
ここが難しい所です。
その人にとってのマジョリティは、違う人に取ったらマイノリティになることはよくあることです。
例えば、Aさんにとって韓流アイドルグループはメジャーなので、Bさんにその良さを知ってもらおうと話しても、Bさんは別に興味がないので、マイナーに捉えられてしまっているなどです。
この定義の曖昧さが論争を生み出してきましたし、差別を助長してしまうこともありました。いいえ、未だに根深くあります。
もしあなたが、非常に症例の少ない難病にかかった時(マイノリティに属した時)、どう思いますか?周りからはどう思われるでしょう?
この時代、それはもう発信者の思いと内容で変わってしまうように感じます。
自分がマイノリティであることを受け入れ、オープンにして過ごされる方もいれば、なかなかそれが出来ず、コンプレックスに抱えて黙っている人もいます。
マイノリティはマジョリティに弾かれてしまうと思うからです。
冒頭でも述べましたが、情報革命前までは確かにそうだったかもしれません。
ですが、今はこうしたマイノリティの方が、勇気を出して自分の現状を正直に公表することが増えました。
マイノリティのマジョリティシフトではないのですが、マイノリティのことを理解して貰おうという活動が増えてきています。
それはとても良いことのように私は思います。
なぜなら、マジョリティとマイノリティは根本的に言えば、全くもって意味のない分類ですから。
だって、絶対的な定義がないものですもん。人間のイメージが生んだ単なるグループ分けです。そこに善も悪もありません。
日本では野球が国民的スポーツですが、野球が嫌いではいけないのですか?非国民ですか?そんなことありませんよね。
多様な文化・人種・社会・芸能・病気・生活・経済を受け入れることが出来ていれば、マジョリティとマイノリティなどという尺度に振り回されなくなると思います。
厳密に言えば、人の思考として、どうしてもマジョリティとマイノリティという意識が生まれてしまうのは当然です。
前回話したスキーマはまさにこれです。
効率的に脳の思考活動を行うためにシステムが組まれているので、そう認知してしまいがちです。
ですが、マジョリティだから正義・マイノリティは悪ということは絶対にありません。
マジョリティがマイノリティを理解し、互いに尊重しあえば、それは「個性」という言葉ですむのですから。
わざわざグルーピングする意味がありません。
だってそもそも人間は一人一人違うのですから(笑)
久しぶりに長々とコラムっぽいことを書いてしまいましたが・・・
私が思うマジョリティとマイノリティはこんな感じです。
皆さんはこの問題についてどう思いますか?道徳の時間っぽいですが、当然答えがないことなのでどうお感じになっても大丈夫です。
重要なことは、①マイノリティのことを理解すること。②マジョリティにならなくてはならないと思わなくていいこと。③マイノリティはその人の大切な個性であること。
これだと思います。
もっと深い話をだせば、語りつくせないほどの議論があるマジョリティとマイノリティですが、今回は概論ということで、ここまでにしておきましょう・・・。
これから、さらなるメディアの進化によって、マジョリティとマイノリティも変わっていく事でしょう。
固定観念にとらわれることなく、その行く末を見れる人になりたいですね。
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それでは今回はここまで!
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